原状回復をめぐるトラブルとガイドライン−再改訂のポイント−

弁護士 大園重信


1.ガイドラインの再改訂

 国土交通省(当時の建設省)は、平成10年3月、民間賃貸住宅の退去時の原状回復をめぐるトラブルを防止するために妥当と考えられる一般的な基準として「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(以下、「ガイドライン」という)をまとめ、そして平成16年2月には裁判事例を追加するなどその内容を改訂しました。その後も、敷金・保証金の返還や原状回復をめぐる多様な問題があることから、国土交通省住宅局は、平成23年8月16日、ガイドラインを再改訂しました。ガイドラインは、国土交通省のホームページに掲載されています(www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/torikumi/genzyokaifuku.htm)。


 ガイドラインは、原状回復を「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」と定義しています。建物賃貸借における原状回復については、宅地建物取引業法に基づく重要事項説明を含めて法的な規制はありませんが、原状回復費用は、入居当初には発生しないものの、賃借人が建物を明け渡す時には負担する可能性があるので、賃貸借契約を締結する際には重要な判断材料の一つであると言えます。このような観点からすれば、建物明渡時に賃借人が負担する修繕範囲や原状回復工事費用単価目安などを記載した原状回復条件一覧表を契約書に添付することにより、賃貸人と賃借人との間で予め原状回復条件について合意しておくのが望ましく、そしてこれによりトラブルを防ぐことができます。


2.再改訂のポイント

 再改訂された主な点は、(1)トラブルの未然防止のための別表等の追加、(2)残存価値割合の変更、(3)Q&Aと裁判事例の追加、の3つです。


(1)トラブルの未然防止のための別表等の追加

 ガイドラインには、別表1(損耗・毀損の事例区分)、別表2(賃借人の原状回復義務等一覧表)、別表3(契約書に添付する原状回復の条件に関する一覧表)、別表4(原状回復の精算明細等に関する様式例)の四つの別表があります。再改訂前のガイドライン(以下、「旧ガイドライン」という)の別表1が、再改訂版では、その一部が改定されたり、削除あるいは追加されています。旧ガイドラインでは、喫煙自体は通常の使用で用法違反とはされていませんでしたが、喫煙に関する社会情勢等に鑑み、ヤニ汚れや臭い付着の汚染がある場合にはその原状回復費用は賃借人負担とされました。キャスター付き椅子によるフローリングのキズ・凹みについては、原状回復の対象としているケースが少ないことなどから別表1から削除されました。エアコンの内部洗浄は、通常の生活において必ず行うとまでは言い切れず、賃借人の管理の範囲を超えていることから賃貸人負担とする旨が追加されました。これらの例は、変更されたものの一部ですが、別表1には、床、壁、天井、建具及び設備の各部位ごとに詳細に原状回復義務が整理されており、原状回復義務の具体的条項を定めるに際して役立つ内容となっています。
 別表3は、新たにガイドラインに追加されたものであり、契約書に添付する原状回復の条件(賃貸人・賃借人の修繕負担分担、賃借人の負担する範囲、原状回復工事施工目安単価)についての雛形です。その前文で、「建物・設備等の自然的な劣化・損耗等(経年変化)及び賃借人の通常の使用により生ずる損耗等(通常損耗)については、賃貸人が負担すべき費用となるものとします。」と定め、そしてこれに基づき原状回復条件が具体的に整理されています。賃借人が例外として原状回復義務を負担する特約を定めることもできるとされていますが、その例外は、民法第90条及び消費者契約法第8条乃至10条に違反しない内容に限定されています。
 別表4も、新たにガイドラインに追加されたものであり、原状回復費用を請求する場合の精算明細書の雛形です。原状回復の対象となる部位ごとに、修繕内容(洗浄・補修・塗替・交換・張替・調整のいずれか)、工事費用(単価・単位・量・金額)、経過年数、賃貸人の負担(割合・金額)及び賃借人の負担(割合・金額)が一覧表として整理されています。この精算明細書を作成するには賃貸人と賃借人との間での十分な協議・合意が必要となるので、精算明細書を作成することにより原状回復をめぐるトラブルはかなり防止されるものと考えられます。


(2)残存価値割合の変更

 原状回復費用については、建物や設備の経過年数が多いほど賃借人の負担割合を減少させるべきですから、旧ガイドラインでは、「減価償却資産の耐用年数等に関する昭和40年3月13日大蔵省省令」における経過年数による減価割合を参考にして、償却年数経過後の残存価値が10%となるようにして賃借人の負担を決めていましたが、平成19年の税制改正により残存価値が廃止され、耐用年数経過時に残存簿価1円まで償却できるようになったことから、ガイドラインの別表2(賃借人の原状回復義務等一覧表)においても、襖紙・障子紙などの消耗品を除いて、耐用年数経過時に残存価値が1円となるように経過年数の部分が改定されました。例えば、耐用年数が6年とされる壁クロスについては、旧ガイドラインでは1年ごとに15%ずつ減価して経過年数を考慮していましたが、再改訂後のガイドラインでは年ごとに約16.7%ずつ減価して経過年数を考慮することになります。


(3)Q&Aと裁判事例の追加

 旧ガイドラインでは、ガイドラインの運用に関してよくある質問としてQ&Aが12問設定されていましたが、今回新たに5問追加され、そして既存の12問についても内容が見直されました。主に賃借人の立場からの質問という形式により、賃貸借契約の内容、原状回復義務、敷金返還などが説明されています。質問と回答は、賃貸人としても参考になるものです。
 原状回復義務に関する判例が、旧ガイドライン改訂後の21事例を加え、合計42事例掲載されています。このうち事例31(神戸地方裁判所尼崎支部平成21年1月21日判決)は、通常損耗と特別損耗とが競合する場合について、「・・賃借人が賃貸借契約終了時に賃借物件に生じた特別損耗を除去するための補修を行った結果、補修方法が同一であるため通常損耗をも回復することとなる場合、当該補修は、本来賃貸人において負担すべき通常損耗に対する補修をも含むこととなるから、賃借人は、特別損耗に対する補修金額として、補修金額全体から当該補修によって回復した通常損耗による減価分を控除した残額のみ負担すると解すべきである。本件クロスの変色は喫煙によるタバコのヤニが付着したことが主たる原因であり、クロスの洗浄によっては除去できない特別損耗である。本件変色の補修はクロスの全面張替えによるしかないが、賃借人は補修金額としてクロスの張替え費用から本件クロスの通常損耗による減価分(減価割合90%)を控除した残額を負担することとなる。・・」としており、通常損耗と特別損耗が並存する場合の取り扱いの参考となります。


3.ガイドラインの書式を添付して契約書を締結すれば、原状回復をめぐるトラブルを防ぐことができ、そしてトラブルが発生したときには解決の指針となります。


以 上