高齢者の不動産売却に際し、意思能力に問題があった事例(判例解説)


弁護士  新村  守

1 はじめに

 近年の高齢化社会の進行に伴い、不動産の取引に関しても、意思能力が疑われるような高齢者との取引が行われるケースは増加しているものと思われます。本稿においては、不動産の売買契約が高齢者である売主の意思能力の欠如を理由に無効とされた事例(裁判例1)、高齢者の不動産売却に際し、意思能力に疑念がある場合、司法書士には調査を尽くすべき義務があるとされた事例(裁判例2)をご紹介し、意思能力の有無についての認定方法、不動産取引に関わる専門家の注意義務について検討します。
 なお、裁判例1は、様々な論点が含まれている裁判例ですが、本稿においては意思能力の有無についての認定部分に限って取り上げることとし、事案を省略化します。

2 裁判例1(東京高裁H26.10.30 RETIO100号92頁)


(1)事案の概要

 平成22年5月27日、宅建業者Xは、媒介業者の媒介により亡B(売主。当時85歳)より本件アパートを代金5600万円で購入し、同日手付金100万円を支払った。そして、同年7月6日に残代金5500万円を支払い、所有権移転登記手続を行った。

 本件アパートは、亡Bの勧めにより、Y1(Y2の夫)及びY2(亡Bの長女。なおY1、Y2を併せて「Yら」という。)が亡Bと賃貸借契約を締結し、その一部に居住していた。

 本件アパートの売却についてはD(亡Bの次女)が媒介業者に相談を持ちかけたものであり、売買契約に関する交渉等は、亡C(亡Bの夫。当時88歳)が主導して行っていたものである。
Dは、媒介業者に「B所有の本件アパートを売却したいが、Yらが立ち退かないため売却できずに困っている。」と相談し、BもD同席のもと「2年前よりYらに立ち退きを要求しているが埒が明かない。妨害が入るため売却のことはYらには話さない。」と述べていた。

 Bについては、平成21年2月16日に「初期から中期程度のレビー小体型認知症。」、平成22年2月15日に「MRI検査で1年前に比べ大脳萎縮が明らかに進行。短期記憶障害が悪化している。」、同年6月17日には「頭部CTにより大脳の萎縮が認められ、高齢で認知症もある。」などの診断がなされていた。

(2)裁判所の判断

 裁判所は、@亡Bの判断能力、A本件売買契約の合理性、B亡Cの関与、CX側の事情について検討し、以下のような指摘をした上、「本件売買契約当時亡Bに意思能力はなかった」と判断した。

 @亡Bの判断能力について
本件売買契約締結当時、亡Bは、中等度の認知症に罹患し、記憶や見当識等の障害があった上、周囲に対して取り繕ったり迎合的になったりして場面や相手によって自らの意見を変える傾向が顕著であり、自らの意見を表明することが困難であって、社会生活上状況に即した合理的な判断をする能力が著しく障害され、自己の財産を管理・処分するには常に援助が必要な状態であったということができる。

 A本件売買契約の合理性について
本件土地建物の代金5600万円が不相当に低額であったとかそれ自体が不合理な内容であったとは認められないものの、亡BとY2の関係性や本件土地建物を巡る経緯からすれば、亡Bにとって、本件売買契約は極めて不合理な内容のものであったといわざるを得ない。

 B亡Cの関与について
本件売買契約は亡Cが主導していたところ、亡Cには顕著な見当識障害やせん妄等の認知機能異常があったことがうかがわれ、本件売買契約締結前から相当の判断能力の低下があったことが推認される。

 CX側の事情について
Xは、不動産の売買・賃貸管理及びその仲介等を営む株式会社で宅地建物取引事業者であり、X代表者のAは宅地建物取引主任者であって、不動産取引の専門業者であるところ、本件売買契約当時、亡Bは85歳、亡Cは88歳と高齢であり、亡Bらに特段親族間に争いがあることは聞いていなかったXにとって、Y2に知らせることなく本件土地建物を売却したいなどその要望が一見して不合理で後日紛争になることは明らかであったにもかかわらず、Xが亡Bらの要望を漫然と受け入れ本件売買契約を締結したことは、果たして不動産取引の専門家として十分な注意義務を尽くしたかには疑問が残るところであって、この点も、本件売買契約の有効性の判断に当たって考慮すべきである。

(3)コメント

 認知症といっても様々な段階や症状があり、認知症と診断されたことをもって、意思能力がないと判断されるわけではなく、取引内容の合理性やその取引を主導した者などの諸事情により判断がなされているのは、他の裁判例などでも同様であると思われます。特に重要なのは、取引内容の合理性であり、通常の判断能力を有する者であれば、そのような不合理な取引をしないであろうと客観的に判断される場合には、意思能力が欠如していると判断されることが多いのではないでしょうか。
 なお、本判決は、買主側の事情も考慮すべきであると述べていますが、意思能力は主観的なものであり、相手側の事情を考慮するのは理論的には疑問も残ります。ただ、取引は相対のものである以上、公序良俗や信義則に違反すると判断されることもあり得ますので、不動産取引の専門家としては、その取引の合理性に十分な注意義務を尽くすことが求められるということがいえると思います。

3 裁判例2(東京高裁H27.4.28 RETIO100号120頁)

(1)事案の概要

 平成17年4月、X(売主)は、アルツハイマー型認知症と診断され、平成24年には、病院の勧めで、月に一、二回通院を行っていた。

 平成24年7月当時、87歳のXは、都市部のマンションの一室(以下「本物件」という。)を所有し、賃料等合計14万3000円で第三者に賃貸していた。

 平成24年7月23日、不動産会社Y1の従業員Y2は、Xに何度か電話した後、X宅を訪問した。
 同日、XとY1は、本物件に関し、媒介価格を400万円とする専属専任媒介契約を締結したが、同日に媒介契約を解約するとともに、売買代金を700万円、買主をY1とする売買契約を締結し、Y2は、Xに手付金140万円を交付した。なお、本物件の時価相当額は、後に裁判所で2000万円を下らないと認定された。Xは、契約に際し、Y2に対し、権利証と実印は紛失したと話し、また、本物件の賃貸借契約書は示さなかった。

 翌24日、Y2は、X宅を訪問し、権利証と実印について尋ねたが見つからなかったため、Xを伴って区役所に行き、Xは改印手続を行い、印鑑証明書を受領した。
 その後、Y2はXと共に喫茶店に行き、Xに、残代金及びその他の清算金の合計額563万円余を額面とする小切手を交付した。なお、その場に、司法書士Y3が同席し、Y1とXから、所有権移転登記手続に必要な書類を徴求した。

 平成24年8月22日、Y1は、他の不動産業者の代表者Aの娘Bに本物件を1350万円で売却した。同年9月、AはX宅に電話し、電話に出たXの長男Cに対し、Bが本件物件を購入したので、賃貸借契約の賃貸人たる地位を承継してほしいと申し出た。

 平成24年10月、Xは見当識について、障害が高度、社会的手続や公共施設の利用はできない、記憶力は問題があり程度は重い、脳の萎縮又は損傷は著しいとして、自己の財産を管理・処分することができないと診断され、同年11月、成年後見開始の審判を受け、Cが成年後見人に選任された。

 平成25年7月19日、CはXの法定代理人として、Y1、Y1の代表者Y4、Y2及びY3に対し、売買契約は売主の意思能力欠如に乗じて不動産を奪取したものだとして、共同不法行為等に基づく損害賠償を請求する訴えを提起した。

 平成26年12月3日、一審裁判所は、本件取引は、Xの理解力・判断力が乏しいことに乗じて本物件を買い取ったものといわざるを得ないとして、Y1、Y2及びY4(以下「Yら」という。)に対する請求を認容したが、Y3に過失があるということはできないとして、Y3に対する請求を棄却した。
 これに対し、X及びYらが各々控訴した。

(2)裁判所の判断

 裁判所は、Yらの控訴を棄却し、Y3については原判決を変更して、以下のとおり判示し、Y3の責任を認めた。

 司法書士は、その業務内容に照らし、疑わしい事情がない限り、申請人の意思能力の有無や登記原因証明情報に係る書面が偽造によるものでないこと等の実質的な要件についてまで調査する一般的な義務を負っているということはできない。

 しかし、司法書士は、登記等の専門家として、依頼者の属性や依頼時の状況、依頼内容等の具体的な事情に照らし、登記申請意思の真実性に疑念を抱かせるに足りる客観的な状況がある場合には、これらの点について調査を尽くし、上記疑念を解消できない場合には、依頼業務の遂行を差し控えるべき注意義務を負っているものと解するのが相当である。

 本件売買契約が、Xが87歳という高齢で、親族の立会いもなく、登記済証も所持しておらず、Y3が、代金相場に比し相当低廉であることを不動産取引の専門業者として認識していたと推認できること、売買契約の翌日に残代金の決済と登記手続が完了するという内容で、決済も喫茶店で行われたことに照らすと、Y3において、Xが700万円で本物件を売却して所有権移転登記を申請する意思の真実性には疑念を抱かせるに足りる客観的な状況があったというべきである。

 Y3は、Xが「Y2から十分な説明を受けて本物件を売却することを了承する」旨等が記載された立会決済確認書に署名押印を徴したにとどまり、それ以上に特段の調査をしたことがうかがわれない本件においては、注意義務を尽くさなかったものといわざるを得ず、登記申請代理業務の専門家として、不法行為責任を免れない。

(3)コメント

 本判決は依頼者の属性や依頼時の状況、依頼内容等の具体的な事情に照らし、意思能力に疑問を抱かせる事情がある場合には、十分な調査を尽くさなければならないとして、専門家に高度の注意義務を負わせる内容となっています。
 ここでも、決め手になっているのは取引内容の合理性であると思われます。不動産取引の専門家としては、この点に十分な注意を払う必要があると思います。
以上

(一財)大阪府宅地建物取引士センターメールマガジン平成28年4月号執筆分