賃貸物件内での賃借人死亡に関する事例


弁護士  住原 秀一

1.はじめに

 賃借人が賃貸物件で一人暮らしをしており、親族とも疎遠ということは少なくありません。このような賃借人については、賃貸物件内で死亡し、そのことに誰も気づかないまま数か月が経過したという例がときおり見られます。
 このような場合、遺体が長期間放置されたことにより腐乱してしまい、賃貸人が次の人に物件を貸せるようにするため高額のクリーニング費用や空室による逸失利益などの損害を被ることになります。そこで、賃貸人としては、賃借人の相続人に対して、その損害賠償請求をしたいと考えることが多いと思われます。しかし、賃借人の相続人からすれば、予期せぬ損害賠償請求を受けて当惑することとなります。
 人は誰しもいつかは亡くなるわけですから、たまたま賃借人の亡くなった場所が賃貸物件だったということで、賃貸人が賃借人の相続人に対して損害賠償請求することは認められるのでしょうか。今回は、このような裁判例をご紹介します。

2.事案の概要

(1)  賃貸人Xは、賃貸マンション一棟を所有していたところ、賃借人亡Aとの間で、平成18年2月25日、この賃貸マンションの一室(本件賃貸物件)を月額賃料10万円(毎月27日限り翌月分払)で賃貸する旨の賃貸借契約を締結し、同年3月11日に亡Aは本件賃貸物件に入居しました。
(2)  入居から10年後の平成28年に至り、亡AからXに対する4月分・5月分の賃料の支払がありませんでした。そこで、Xは、5月20日、警察官及び亡Aの兄であるBと共に、本件賃貸物件に立ち入りました。すると、亡Aは、本件賃貸物件内の布団で死亡していました。死因は不明でしたが、検視の結果、推定死亡日時は3月9日頃であることが判明しました。遺体発見が遅れ、死亡後約2か月半が経過していたため、布団から腐敗物が床に染み出していました。
 なお、Xは、本件賃貸物件への立ち入りの際に、亡Aが本件賃貸物件内で亡くなっている可能性があると考え、混乱を避けるために、隣室住人に対し、あらかじめ避難してもらうための費用として5万円を支払いました。また、Xは、同居している母親をデイサービスに預けて約1万円を支払いました。
(3)  亡Aには配偶者及び子はなかったため、父Y1と母Y2が法定相続人でした。Xは、亡Aの父母Yらから、応急の原状回復としてフローリングの一部撤去、ベニヤ板設置費用、敷居汚れ除去費用約3万円を支払ってもらいましたが、それ以上の支払はありませんでした。遺体が2か月半放置されたことにより屍臭が残るなどしたため、大がかりな原状回復工事を要することとなり、Xは約63万円の原状回復費用を支出しました。
(4)  Xは、この賃貸マンションの別の部屋に新規入居する者2人から、遺体発見直後であることを理由に礼金と共益費の減額を請求され、その減額に応じざるを得ませんでした。その減額した金額は合計約22万円です。
(5)  Xは、亡Aの相続人である父母Y1・Y2に対し、6月28日到達の書面で原状回復費用や立ち入りに要した費用、減額を要求された費用などを請求をしましたが、支払はありませんでした。
(6)  その後、Yらは、11月28日、亡Aについて家庭裁判所に対し相続放棄の申述をしました。
(7)  Xは、Yらに対し、亡Aの死亡に伴い発生した損害などの金銭を請求する訴訟を提起しました。Xが請求した主張内容及び請求額の概略は次のとおりです。

ア 未払の賃料相当損害金明渡済みまで1か月10万円の割合
イ 原状回復費用約63万円
ウ その他の損害約65万円

 亡Aは、本件賃貸物件内での自死又は病死等の予見可能な死を回避し、原告に損害を生じさせないようにする善管注意義務を負っていたのにこれを怠り、次の(ア)〜(ウ)の損害の合計金約85万円を発生させたから、そこから敷金20万円を差し引いた残額約65万円を請求する。
 
(ア) 立ち入りに要した損害約6万円(隣室住人への支払金5万円及びXの母のデイサービス費用約1万円。上記(2))
(イ) 礼金と共益費の減収約22万円(上記(4))
(ウ) 今後の本件賃貸物件の空室による逸失利益約57万円(今後約1年分の賃料の半額相当額)


3.裁判所の判断

 Xの請求に対し、裁判所は次のように判断しました。
(1)  相続放棄の有効性について
 Yらは、Xから損害賠償請求を受けた6月28日時点で、亡Aの債務について認識し得たものである。そうすると、Yらが11月28日に行った相続放棄の申述は、熟慮期間経過後にされたものであって、相続放棄は無効である。
(2)  未払の賃料相当損害金及び原状回復費用約63万円について
 証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件賃貸物件の原状回復及び明渡しは未了であることが認められる。よって、Yらは、賃貸借契約の終了に基づき、未払の賃料相当損害金及び原状回復費用の支払義務を負う。
(3)  その他の損害について
 亡Aの死因は不明であり、亡Aが本件建物内で自殺したとは認められない。
 また、亡Aが生前持病を抱えていたなどの事情は窺われないから、亡Aが、当時、自分が病気で死亡することを認識していたとは考えられず、また、そのことを予見することができたとも認められない。
 したがって、亡Aに善管注意義務違反があったとは認められず、これを前提とするその他の損害約65万円の賠償請求には理由がない。


4.本件に学ぶこと

(1) 相続放棄について
ア 相続放棄に関する一般知識

 相続人は、被相続人(本人)が死亡したこと及び自分が相続人となったことを知った時から3か月以内であれば、相続放棄をすることができます(民法915条1項本文)。この期間を「熟慮期間」といいます。相続人が相続放棄をする場合には、家庭裁判所に対し、「相続放棄申述書」を提出します。
 その際、申述書に所定額の収入印紙を貼り付けたり、被相続人や相続人自身の戸籍などの必要書類を提出することが必要です。具体的な必要書類や手続の流れは、裁判所のホームページで紹介されています。
 もし被相続人の財産状況の調査に時間が掛かるなどの理由で3か月以内では相続放棄すべきか否か判断できないときは、家庭裁判所に申立書を提出すれば、裁判官の判断により、熟慮期間を伸長することができます(民法915条1項ただし書)。
 熟慮期間の起算点は、先ほど述べたように、被相続人(本人)が死亡したこと及び自分が相続人となったことを知った時が原則です。したがって、本件でいえば、Y1・Y2は、自分が親であることは知っていますから、被相続人である亡Aが死亡したことを知った時から熟慮期間が開始するというのが原則です。
 もっとも、被相続人が死亡したことを知った時から3か月以上が経過して、被相続人に予期せぬ借金があることが判明したような場合、原則どおり相続放棄を認めい、というのは相続人に酷です。そのため、最高裁判例によって、相続財産(債務を含む)を通常認識し得ないときには、その全部又は一部の存在を認識した時又は通常認識しうべき時から熟慮期間が開始するとされています(最高裁昭和59年4月27日判決・最高裁民事判例集38巻6号697頁)。
 なお、被相続人の遺産の処分など相続放棄と矛盾する行動を取ると、法定単純承認があったものとして、相続放棄が無効になってしまいます(民法921条)。

イ 本件へのあてはめ

 本件では、Yらは、Xから平成28年6月28日到達の書面により、亡Aの賃貸借契約にまつわる金銭の請求を受けているため、その時に亡Aの債務を認識したと考えられます。
 そのため、本件での熟慮期間の起算点は平成28年6月28日となり、熟慮期間はその3か月後である9月28日までとなります。Yらが相続放棄の申述をしたのは11月28日ですから、熟慮期間を経過してしまっているため、裁判所は、Yらの相続放棄を認めませんでした。

(2) 原状回復費用について
 通常損耗(賃借人の通常の使用により生ずる損耗等)については原状回復費用の請求は認められず、特別損耗(賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗等)についてのみ原状回復費用の請求が認められるというのが原則です。
 本件では、亡Aの遺体の腐敗により、高額の原状回復費用が掛かっています。この点につき、「人は誰しもいつかは亡くなる」ということを考えれば、遺体の腐敗による損傷は通常損耗だと解釈する余地もあるかもしれません。
 しかしながら、通常損耗か特別損耗かの問題について、裁判所は特に言及せずに、高額の原状回復費用の請求を認めました。単に賃貸物件内で死亡したにとどまらず、遺体の腐敗にまで至っていること等を考慮して、裁判所は、本件は通常損耗ではないと考えたのかもしれません。

(3) 善管注意義務について
 賃借人には「善良な管理者の注意」をもって賃貸物件を使用する義務があ
ります。これを善管注意義務といいます。賃借人に善管注意義務違反がある場合、賃貸人は、賃借人やその相続人に対し、原状回復費用以外であっても、これによって生じた損害(空室による逸失利益など)の賠償を請求することができます。
 本件では、Xは、亡Aには「本件賃貸物件内での自死又は病死等の予見可能な死を回避し、原告に損害を生じさせないようにする善管注意義務を負っていたのにこれを怠った」という主張をしていました。
 これに対し、裁判所は、亡Aには善管注意義務違反はないと判断しました。その理由として、裁判所は、死因が不明であって自殺とは認められないことに加え、亡Aには生前持病がなかったから自分が死亡することを予見できなかった、ということを挙げています。
 逆にいえば、賃借人が自殺した場合などには、賃貸人は、賃借人の相続人に対し、賃貸物件内での死亡による損害賠償請求が認められる余地があります。その場合の損害としては、賃貸物件が一定期間空室を余儀なくされることによる逸失利益や、賃貸物件の価値の下落による損害などが考えられます。

(4) 民法改正の影響
 昨年(平成29年)の国会で民法改正法が可決され、2020年4月1日から改正民法が施行されることになっています。改正民法では、賃貸借契約における保証人などの根保証人(保証する金額が定まっていない保証人)の責任を制限するという改正が加えられています。
 具体的には、@極度額(保証人の責任の上限額)を定めておかなければ保証が無効となり(改正民法465条の2第2項)、A主たる債務者(賃貸借でいえば賃借人)が死亡した時以降に発生した債務については保証の対象外となる(改正民法465条の4第1項3号)などの改正点があります。
 賃借人の自殺による居室内の死亡の場合、自殺という生前の善管注意義務違反があるため、自殺による損害賠償債務は保証の対象となりますが、死亡後の未払賃料は保証の対象外となります。
 この点は現行民法と異なるのでご注意ください。
 なお、上記の改正点は、個人である保証人についてのみ適用されます(改 正民法465条の2第1項)。法人である保証人については従前どおりです。 また、施行前の保証契約については、少なくとも賃貸借契約の更新時までは 現行民法が適用されます(平成29年法律44号附則21条1項)。更新後の取扱いは解釈が定まっていません。

以上
 


(一財)大阪府宅地建物取引士センターメールマガジン平成30年11月号執筆分