建物賃貸借契約の敷引き特約の有効性
最近の最高裁判決をどうみるか

弁護士 井 尻  潔


1 はじめに

 建物賃貸借契約において、借主が貸主に敷金を交付することが一般的ですが、賃貸借契約の終了時に修繕費の負担問題とは関係なく、貸主が預った敷金から一定額を控除する旨の特約(敷引き特約)も一般的には結ばれております。
 この敷引き特約の有効性について従来から問題となっており、消費者契約法施行以前においても、学説・裁判例とも有効説・無効説が分かれておりました。 
 その後、平成13年4月1日から消費者契約法が施行されることとなり、同法10条によって、消費者の権利を制限したり義務を加重する条項で、信義誠実の原則に違反し、一方的に消費者の利益を害する条項は「無効」であるとされるようになりました。
 そこで、消費者契約法の適用がある建物賃貸借契約において、敷引き特約がなされている場合、敷引き特約が消費者契約法10条によって無効となるか否かが裁判で争われており、これまで地方裁判所や高等裁判所で有効と無効の両方判決が出ておりましたが、本年3月24日に最高裁判所として初めてこの問題について判決が出ました。ここでは、最高裁判決が実務にどのように影響するか考えたいと思います。


2 敷引き特約の効力に関する裁判例の動向


(1)下級審判決の最近の状況

 下級審判決においては、有効とするもの無効とするものが分かれており、確定したものは出ておりませんでした。
 最近では、以下のような判決が出ております。

・大阪地裁 平成19年3月30日判決(一部無効)
 40万円の敷金から30万円を差し引く敷引き特約について、25万円の敷引き部分を無効とし、5万円の敷引き部分は有効とした。

・京都地裁 平成21年7月23日判決(無効)
 35万円の敷金から30万円を差し引く敷引き特約は無効であるとした。

・横浜地裁 平成21年9月3日判決(有効)
 敷金は家賃の2ヶ月分であるところ、家賃の1ヶ月分を敷引きとする特約は消費者契約法10条に違反せず、有効とした。

(2)最高裁判決 平成23年3月24日 小法廷判決

 敷引き特約について、消費者契約法第10条により無効となるか否かの判断が初めて最高裁判所でなされました。

(事案)
 マンション一室の賃貸借契約
 賃料月額    9万6000円
 保証金(敷金)    40万円
 敷引き特約
  (年数によって変わる。1年未満の終了は18万円の敷引き。5年以上経過しての
  終了は34万円の敷引き。その間は1年経過する度に差引額が増加し、最終的に
  34万円となる。)

 なお、原審の大阪高裁判決においては、賃借人の主張は認められず、敷引き特約は「有効」と判断されたことで、賃借人が上告した事件でした。
 賃借人は、上告理由として「建物の賃貸借においては通常損耗等に係る投下資本の減価の回収は、通常減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払いを受けることにより行われるものであるのに、賃料に加えて賃借人に通常損耗等の補修費用を負担させる本件特約は、賃借人に二重の負担を負わせる不合理な特約であって、信義則に反して消費者の利益を一方的に害するものであるから、消費者契約法10条により無効である」と主張しております。

(最高裁の判断)
 これに対し、最高裁は「本件契約における賃料は月額9万6000円であって、本件敷引きの額は上記経過年数に応じて上記金額の2倍弱ないし3.5倍強にとどまっていることに加えて、上告人は本件契約が更新される場合に1ヶ月分の賃料相当の更新料の支払義務を負うほかには、礼金等他の一時金を支払う義務を負っていない」ことで「本件敷引きの額が高過ぎると評価することはできず、本件契約が消費者契約法10条により無効であるということはできない」と判断し、最高裁判決において、敷引き特約の有効性について初めての判断がなされたのです。

3 最高裁判所 平成23年3月24日判決の意味するところ(適用範囲)

(1)上記の通り最高裁が敷引き特約について有効との判決を出しましたが、今後敷引き特約を全て有効と考えてよいか検討しなければなりません。
(2)最高裁判所の上記判決の理由の中で、敷引き特約の有効性について一般論として判断基準を示しており、原則として「有効」であるが、一定の条件を満たした場合には「無効」と判断すべきとされている。即ち、最高裁は一般論としては敷引き特約は「有効」であるが、一定の条件を満たせば「無効」であるとの解釈を示したものです。当該事案のケースでは無効とするための「一定の条件」を満たしていないために「有効」と判断されたものです。
(3)最高裁は、敷引き特約と消費者契約法10条との関係について、一般論として以下のように述べています。
 「消費者契約法10条は、消費者契約の条項が民法1条2項に規定する基本原則、すなわち信義則に反して消費者の利益を一方的に害するものであることを要件としている。
 賃貸借契約に敷引き特約が付され、賃貸人が取得することになる金員(いわゆる敷引金)の額について契約書に明示されている場合には、賃借人は、賃料の額に加え、敷引金の額についても明確に認識した上で契約を締結するのであって、賃借人の負担については明確に合意されている。そして、通常損耗等の補修費用は、賃料にこれを含ませてその回収が図られているのが通常だとしても、これに充てるべき金員を敷引金として授受する旨の合意が成立している場合には、その反面において、上記補修費用が含まれないものとして賃料の額が合意されているとみるのが相当であって、敷引き特約によって賃借人が上記補修費用を二重に負担するということはできない。また、上記補修費用に充てるために賃貸人が取得する金員を具体的な一定の額とすることは、通常損耗等の補修の要否やその費用の額をめぐる紛争を防止するといった観点から、あながち不合理なものとはいえず、敷引き特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであると直ちにいうことはできない」
 このように、最高裁は敷引きについては原則「有効」であるとの一般基準を示しております。
(4)ところが、最高裁上記判決は「原則有効」との一般基準を示しながら、「一定の条件」を満たす場合には「無効」もありうると、続けて以下の通り判示しています。
 「もっとも、消費者契約である賃貸借契約においては、賃借人は、通常、自らが賃借する物件に生ずる通常損耗等の補修費用の額については十分な情報を有していない上、賃貸人との交渉によって敷引き特約を排除することも困難であることからすると、敷引金の額が敷引き特約の趣旨からみて高額すぎる場合には、賃貸人と賃借人との間に存する情報の質及び量並びに交渉力の格差を背景に、賃借人が一方的に不利益な負担を余儀なくされたものとみるべき場合が多いといえる。
 そうすると、消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引き特約は、当該建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額、賃料の額、礼金等他の一時金の授受の有無及びその額に照らし、敷引金の額が高額に過ぎると評価すべきものである場合には、当該賃料が近傍同種の建物の賃料相場に比して大幅に低額であるなど特段の事情のない限り、信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものであって、消費者契約法10条により無効となると解するのが相当である。」
(5)このように、最高裁は、敷引き特約について直ちに消費者契約法10条により無効であるとは言えないが、賃料の額、礼金等の一時金の授受の有無等に照らして「敷引きの額が高過ぎる」と判断される場合には、特段の事情がない限り、消費者契約法10条により「無効」であると判断したもので、最高裁は、敷引き特約が無効となる場合の基準を示したものであると解釈されています。

4 まとめ

 最高裁の判決を参考にすれば、敷引きの額が家賃の3.5倍程度にとどまり、その他に礼金等の負担がない場合には、敷引きの額が高過ぎることはないと判断されるため、敷引きは「有効」と考えられます。敷引きが「無効」となる「高過ぎる」場合とはどのような場合が該当するかとの判断は難しいものがありますが、例えば、家賃の5倍以上敷引きがなされた場合等は無効と判断される可能性があるのではないかと考えられます。ただし、最高裁も家賃の倍数だけを基準に無効としているのではなく、その他賃借人の負担について総合的に見て判断しているのであるから、その点を踏まえて考えなければならないと思います。
 実務上今後注意すべき点としては、新たに建物賃貸借契約を結ぶ場合、敷引きの額を家賃の3.5倍以内に抑えるように注意することが必要かと考えられます。また、既に締結されている建物賃貸借については、敷引き金額が家賃の5倍以上である場合、「無効」と判断される可能性があることを注意しておかなければならないと思われます。