建物の不具合等を理由に賃料減額を求める賃借人の主張を
   認めず,契約解除を認めた事例
(東京地方裁判所・令和2年1月31日判決・ウエストロー・ジャパン)


弁護士 板野 充倫


1 事案の概要

(1)
 平成29年11月30日,原告(賃貸人)と被告(賃借人)は,次の内容の建物賃貸借契約を締結しました。
  ・契約期間:平成29年11月30日から令和元年11月29日
  ・月額賃料:賃料9万2000円・共益費3000円

(2)
 原告は,被告に対し,平成31年4月5日,滞納賃料等28万5000円(3か月分)を支払うよう請求し,同月10日までに支払わない場合には賃貸借契約を解除すると通知しました。
 また,原告は,被告に対し,遅くとも令和元年12月13日までに,滞納賃料等65万5000円(約7か月分)を支払うよう請求し,同月18日までに支払わない場合には賃貸借契約を解除すると通知しました。
 なお,上記2つの主張は「選択的主張」といい,いずれか1つの主張が認められれば原告の主張は認められるという関係にあります。

(3)
 いずれの請求後も被告が支払いをしなかったため,原告は,賃貸借契約は解除されたとして,建物の明渡しを求める訴訟を提起しました。


2 被告の主張

 被告は,本件建物は老朽化しており,設定されている賃料自体が不当に高額であり,また,次のような不具合が存在したとして,賃料は半額が相当であり,既に支払った金額で不足はないからから未払いはないと反論しました。

  @ 上の階からの床の音が騒がしい。
  A ベランダからの雨漏りが激しく,洗濯物を干せない。
  B タイルのつなぎ目や壁の隙間から虫が侵入する。
  C 風呂やトイレの換気扇が機能しない。
  D 風呂場の蛇口やシャワー口から水が漏れる。
  E 便座が故障するなどの不具合がある。


3 裁判所の判断

(1)
 裁判所は,前提として「賃貸人の修繕義務の不履行により賃借人が目的物の使用収益を妨げられた場合,その限りにおいて賃借人は賃料の支払を拒むことができる」と述べました。

(2)
 その上で,被告の主張@CDEについては,「これを認めるに足りる的確な証拠はない」とし,「本件建物の使用収益を妨げるほどの事情があるとは認められない」と判断しました。
 被告の主張Aについては,「ベランダ天井部分に亀裂様のものが認められ,その部分から雨漏りがあっても不自然ではない」としつつ,「使用収益に与える影響は定かでない」と判断しました。
 被告の主張Bについては,原告が苦情を受けた翌日にコーキング補修を行ったこと,その後は被告から苦情の申立てがなかったこと,被告が提出する写真に虫などは写っていないことなどを根拠として,「虫が侵入しているとは認められない」と判断しました。

(3)
 したがって,被告が賃料の支払いを拒むことは認められないとして同人の主張を退け,少なくとも令和元年12月18日の経過により本件賃貸借契約は解除されたとして,原告の請求を認容しました。


4 コメント

(1)
 本件賃貸借契約は,平成29年11月30日に締結されていますので,旧民法が適用されます。
 旧民法611条1項は,「賃借物の一部が賃借人の過失によらないで滅失したときは,賃借人は,その滅失した部分の割合に応じて,賃料の減額を請求することができる」と規定していました。文字通りに解釈すると,建物の一部が滅失した場合には賃料減額請求をすることが可能であり,賃借人が減額請求をしなければ当初の賃料が維持されることになります。
 他方,現行民法611条1項は,「賃借物の一部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合において,それが賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは,賃料は,その使用及び収益をすることができなくなった部分の割合に応じて,減額される」と規定しており,滅失以外の場合も含めて使用収益ができなくなった場合には,その割合に応じて当然に賃料が減額されることとしています。
 もっとも,旧民法についても,公平の見地から,使用収益を制限された程度に応じて賃料の支払いを拒むことを認め,実質的には新法と同じ考え方をする裁判例も存在しました。本件判決も「賃貸人の修繕義務の不履行により賃借人が目的物の使用収益を妨げられた場合,その限りにおいて賃借人は賃料の支払を拒むことができる」と述べており,実質的には新法と同様の考え方に立ったものと評価することができます。

(2)
 上記のとおり,裁判所は,建物の不具合に関し,「これを認めるに足りる的確な証拠はない」「使用収益に与える影響は定かでない」「虫が侵入しているとは認められない」などとして,被告の主張を退けました。建物の不具合に関する立証責任は被告にありますが,被告が自らの主張を裏付ける十分な証拠を提出できなかったため,裁判所は不具合があったとは認定しませんでした。
 本件では,判決書に被告代理人の記載がないため,被告は弁護士を訴訟代理人として選任することなく,自ら訴訟を追行したのではないかと思われます(途中で訴訟代理人が辞任した可能性もあります)。そのため,十分な主張・立証を尽くすことができたのか,とりわけ十分な証拠を提出することができたのかという点については,疑問の余地もあります。被告が主張する建物の不具合を立証するためには,動画や写真,音量を測定した記録などを提出することが必要であると考えられます。判決書の記載からは写真が提出されていることは読み取れるものの,それが十分なものであったか否かは確認できません。
 もっとも,仮に被告が訴訟代理人を選任し,より詳細な主張立証を行っていたとしても,同人が主張する建物の不具合は使用収益を大きく妨げるほどのものではないように思われますので,賃料が半額にまで減額されるということは考えにくく,結論に変わりはなかったのではないかと推測されます。

(3)
 被告としては,本件訴訟で主張したような不具合が存在し,使用収益が妨げられていたのであれば,早い段階で積極的に補修を求めると共に,自ら賃料の減額交渉をしておくべきだったのではないかと思われます。その方が,訴訟での主張の説得力が増した可能性もあります。

(4)
 あくまでも推測ですが,本件では多額の賃料の不払いがあり,被告は賃料は半額が相当であると主張していることから,訴訟の時点でも未払賃料が存在したのではないかと思われます。建物の明渡しを求める場合,未払賃料及び賃料相当損害金の請求も併せて行うのが普通ですが,本件では原告は未払賃料等の請求をしていません。その理由は定かではありませんが,仮に使用収益を妨げる不具合があると認定された場合には賃料が減額される可能性があり,いくら減額するのが相当であるかについての審理に時間を要することが想定されますので,原告は長期化を避けるために未払賃料等の請求を付加しなかったのかもしれません。

(5)
 判決書から読み取れる情報には限界がありますので,推測に基づくコメントもいたしました。本件に限らず,より詳細な経過を把握したいという場合には,訴訟記録を閲覧することをお勧めします(民事訴訟法91条により,誰でも閲覧が可能です)。

(一財)大阪府宅地建物取引士センターメールマガジン令和4年1月号執筆分