(1)争点に関する結論 |
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判決は、Xの主張を認め、Xが本件賃貸借契約締結時に預託した本件保証金の額は300万円であると判断しました。 |
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保証金の性質と保証金返還債務の承継 |
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本件保証金は借主の賃料債務等を担保する「敷金」としての性質を有するものと認定し、本件建物の所有権移転及び賃貸人の地位の移転に伴い、同保証金返還債務は、新所有者に承継されるものと認定しました。 |
A |
賃貸物件の譲渡当事者間で引き継がれた保証金の額と借主が預託した金額 |
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仮に、Yに引き継がれた保証金の額が200万円であったとしても、直ちに借主が預託した本件保証金の額が導かれるものではないとして、Yの主張を斥けました。
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(2)本件判決の妥当性 |
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本件建物に関する本件賃貸借契約書、及び本件更新契約書の各記載からは、Xが差し入れた保証金が300万円であることが認められます。仮に、譲渡当事者間で引き継がれた保証金が200万円であったとしても、借主の前記預託後、賃貸物件が転々譲渡される際に、保証金の一部が償却され、償却後の保証金が引き継がれたことも十分考えられることから、借主が差し入れた保証金額(300万円)を覆す事情とはなりません。そして、本件保証金は、前記本件賃貸借契約書(第6条:保証金)の記載にもあるとおり、賃借人の賃料債務等を担保する敷金としての性質を有するものであります。以上の認定事実を前提としますと、Xが差し入れた本件保証金300万円が、本件建物の所有権の移転及び賃貸人たる地位の移転に伴って、AからB及びYに承継されるのは、確立した判例理論からすれば、当然の結論であります(前掲最高裁昭和44年判決参照)。
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(3)保証金額の事後の変更 |
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本件では、前所有者Bが本件建物を新所有者Yに譲渡する際、200万円の保証金額を記載した「貸主変更に関するおしらせ」(書面)が前所有者Bによって作成されていますが、判決では、借主がその作成に関与しない書面であることを理由に、Yの主張(保証金額が引き継がれた200万円である)を斥けています。
前記書面は、借主の預託した保証金の額に関する間接事実として主張されていますが、仮に、同書面を変更合意に関する主張(本事案では同主張は行われていない)の間接事実とした場合でも、おそらく判決の結論には影響なかったものと思われます。
なお、新所有者において、借主との間で、当初の預託額(保証金)と異なる保証金額(返還金額)を新たに定めることは可能であります。
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(4)借家関係の承継に関する最高裁判例
借家関係の承継が問題となった最高裁判例として、 |
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旧借家法1条による賃貸借の承継には賃貸人からの通知を要しない(最判昭和33年9月18日判決:民集12.13.2040) |
A |
賃料前払いの効果(最判昭和38年1月18日判決:民集17.1.12) |
B |
転貸許容の特約(最判昭和38年9月26日判決:民集17.8.1025) |
C |
賃料の取立債務の約定(最判昭和44年7月17日判決:民集23.8.1610) |
D |
建設協力金としての保証金(最判昭和51年3月4日判決:民集30.2.25) |
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などがあります。 |
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A乃至Cは、新所有者への承継を認めましたが、D(保証金)は、「新所有者は、特段の合意をしない限り、当然には保証金返還債務を承継しない・・。」として新所有者への承継を否定しました。 Dの判決では、建設協力金としての当該保証金が、賃借人の賃料債務その他賃貸借上の債務を担保する目的で交付され、賃貸借の存続と特に密接な関係に立つ敷金とも本質を異にするものであると認定されています。そして、本件建物の所有権の移転に伴って、新所有者が保証金返還債務を承継するか否かについては、当該保証金の前記性格から、未だ新所有者が当然に保証金返還債務を承継する習慣ないし慣習法があるとは認め難い状況のもと、新所有者が当然に保証金返還債務を承継するとされることにより不測の損害を被ることのある新所有者の利益保護の必要性と、新所有者が当然にはこれを承継しないとされることにより保証金を回収できなくなるおそれを生ずる賃借人の利益保護の必要性との比較衡量の結果から、上記結論(当然には承継されない)が導き出されています。名目上は本事例と同じく「保証金」の承継に関する事例(承継否定)であり注目すべきであります。
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(5)民法改正との関係 |
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本件では、借主と旧貸主との間の保証金返還債務の内容が、賃貸人の地位の移転に伴い、新所有者に承継されるかが問われました。
建物について賃貸借契約が締結され、借主が使用、収益している場合、建物の所有権が移転したときは、賃貸借契約が新所有者に承継されると解されていました(最高裁昭和38年8月28日判決、前掲同44年7月17日判決など)が、前記判例理論は、平成29年民法改正により明文化されました(新法605条2項)。また、同改正法により敷金についての定義及び基本的規定が定められました。これにより、保証金等と称するものであっても、賃料債務等の金銭債務を担保する目的で交付された金員については、同法622条の2の「敷金」に該当することになります。
本件は、改正法施行前の賃貸借契約及び更新契約ではありますが、改正法は前述の通り、従前の判例法理を明文化したものでありますので、賃貸人の地位の承継に関する点に関して、改正前後で本件における結論に変わりはありません。
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(6)最後に(補足) |
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借主X,新所有者Yは、いずれも不動産賃貸業等を行う株式会社でした。そのほか、前所有者(旧貸主)A、Bはいずれも法人でした。 新所有者YがBより本件建物を取得した際には、大手の不動産会社がその仲介を行っています。そして、本件建物の売却時、保証金額が200万円である旨の記載のある「貸主変更に関するおしらせ」と題する書面がBによって作成されていました。
本判決は、以上の各事情を前提とした事案でもあります。今後の不動産取引におきましても、実務上、十分注意を要するものと思われます。
なお、「保証金」に関しては、敷金、礼金あるいは権利金、建設協力金、またはそれらの複合的性格をもつものとされており、その実質に応じて、新所有者への承継の有無が個別に判断されることになります。
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