|
1 はじめに
賃貸物件で賃借人の自殺事故が発生した場合、一般に、賃貸人は賃借人の相続人に対して損害賠償請求できますが、具体的にどのような損害を請求できるのかが分かりにくいものです。今回は、自殺事故による損害額が問題となった裁判例を紹介します。
(東京地方裁判所・令和4年10月14日判決 )
2 事案の概要
(1)賃貸人Xは、賃借人A及びY1との間で、令和元年10月、東京都品川区の マンションの一室について、次の賃貸借契約を締結した。
賃貸期間 2年間
賃料月額 235,000円
敷 金 235,000円
特約事項 A及びY1の賃借人の地位に関する債権債務は不可分とし、 両名は連帯してこの賃貸借契約に基づく債務を履行する義務を負う。
(2)Aは、令和2年8月、賃貸物件であるマンションのバルコニーからの飛
び降り自殺により死亡した。Aの相続人はその母であるY2のみであった。
(3)賃貸人Xは、次のように主張して、共同賃借人Y1及びAの相続人Y2に対 し、逸失利益549万円の損害賠償請求をした。
(Xの主張)
Xは、令和2年10月末以降、不動産管理会社に委託して本件建物の賃借人募集をしたが、入居希望者はなかなか現れず、令和3年2月中旬に入居申込みがあり、賃料を月額15万円に減額して、賃貸期間を4年間と定め、同年4月1日から賃貸した。本件建物の新賃借人と新賃貸借契約を締結するに当たっては、本件建物で自殺があったことを説明し、従前賃料月額235,000円から減額して賃料月額150,000円とせざるを得なかったものである。そのため、新賃貸借契約が締結されるまでの間の空室期間6か月分の全額(235,000円×6か月=1,410,000円)に加え、新賃貸借契約の賃貸期間である4年間については、上記賃料差額((235,000円−150,000円)×48か月=4,080,000円)の損害が発生した。
したがって、以上合計額の5,490,000円については、亡Aの自殺と相当因果関係がある損害である。
3 裁判所の判断
(1)損害賠償責任の有無
賃貸借契約において、賃借人は、賃貸借の目的物を善良なる管理者の注意義務をもって使用収益する義務がある。
自殺があった建物に居住することに抵抗を感じる者が相当数存在することは公知の事実であり、賃貸人や仲介業者等は、通常、賃貸借契約の目的物である建物において過去に自殺があった場合は、新たに賃貸借契約を締結するに際して、概ね3年間はその旨の告知をすべきであると考えられ、弁論の全趣旨によれば、実際にそのような告知を行う実務が存在すると認められる。したがって、かかる建物は、自殺の後一定期間にわたって、その交換価値や賃料相場が下落し、所有者や賃貸人に経済的損害が生じることがあり、賃借人は当然にこのような事情を予見することができるものであるから、賃借人は上記善管注意義務の一環として、賃貸借の目的物である不動産において自殺しない義務を負うというべきである。
本件は、本件賃貸借契約の目的物である本件建物室内の自殺ではなく、本件建物からの飛び降り自殺の事案であり、「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」で明確な告知義務が定められているものではないが、過去に自殺があった建物であるという評価がされることについては変わりがなく、賃貸人や仲介業者等は、賃借人からの責任追及を避けるためには、賃貸借契約の目的物である建物からの飛び降り自殺があったことも同様に説明をせざるを得ないといえるから、このことは上記結論を左右するものではない。
よって、Y1とY2は、Xに対し、連帯して本件賃貸借契約の債務不履行(善管注意義務違反)に基づく損害賠償責任を負う。
(2)亡Aの自殺と相当因果関係のある損害の額
ア 空室期間についての損害
Xが賃借人募集を開始したのは本件賃貸借契約が終了した後(令和2年9月末)から約1か月が経過した令和2年10月末であり、本件自殺の有無にかかわらず原状回復工事期間中に新賃借人が入居することは考えられないことからすれば、上記1か月の空室期間は本件自殺との間に相当因果関係があるとはいえない(なお、本件自殺の態様に照らし、通常よりも長期間の原状回復工事を要したとは考えられない。)。
また、一般に、入居希望者が現れてから実際に賃貸借契約を締結して入居するまでは一定期間を要するものであり、特に、新年度の4月から入居することを希望する者は、前年度の2月頃に物件探しをして物件を決め、4月1日からを契約期間として契約することが多いこと(公知の事実)からすれば、令和3年2月中旬頃に新賃借人が現れてから同年4月1日から入居するまでの間の約1か月半の空室期間についても、本件自殺との間に相当因果関係があるとはいえない。
そして、本件建物が利便性の高い地域に存在するマンションであり空室率は低いものであったことを考慮しても、通常、一定程度の賃借人募集期間は必要であるから、本件自殺と相当因果関係のある空室期間は3か月とするのが相当であり、次のとおり705,000円(=235,000円/月×3か月)が損害額である。
イ 賃料減額についての損害
Xは、本件自殺により本件建物の賃料相場が下落し、減額した賃料額で賃貸せざるを得ない事態に陥り損害を受けたものである。そこで、上記損害のうち本件自殺と相当因果関係のある範囲について検討するに、本件建物の従前賃料は月額235,000円であり、これは相場に照らして相当なものであったこと、本件建物は利便性の高い地域に存在するマンションであり空室率は低いものであったこと、亡Aが死亡したのは本件建物内ではなく、賃借人の心理的抵抗感は本件建物内で死亡した場合に比べれば低いと考えられること、本件建物は東京都心部のタワーマンションの一室であり近隣との人間関係は希薄であると考えられること、原告から依頼を受けた仲介業者は従前賃料から30%を減額した月額賃料164,500円で募集をしていたことなどの事情を総合考慮し、新たな賃貸借契約が締結された令和3年4月分から、本件自殺の3年後である令和5年8月分までの29か月分の賃料について、従前賃料額の3割の範囲(235,000円/月×30%×29か月=2,044,500円)に限り相当因果関係を認める。
4 裁判所の判断についての解説
(1)賃借人は、善管注意義務の一環として「賃貸借の目的物である不動産 において自殺しない義務」を負います。したがって、賃貸物件で賃借人 が自殺した場合、賃借人は、債務不履行(契約違反)に該当する善管注 意義務違反となり、これによって賃貸人に生じた損害を賠償する責任を 負います。そして、その賃借人の責任は相続によってその相続人に承継 されますから、賃借人の相続人は、賃貸人に対し、賃借人の自殺事故に よって生じた損害を負うこととなります。
(2)自殺事故による損害額の計算方法は様々な方法がありますが、本件で は次のような計算方法を採用しています。
ア 空室期間の逸失利益
新しい賃借人が決まるまでの空室期間に、得られるはずだった賃料が得 られなかったことによる損害です。ただし、自殺事故がなくても生ずる空 室期間(例えば単なる中途解約の場合でも生ずる空室期間)は、損害に含 まれません。
本件では、@解約から原状回復工事完了までの期間(約1か月)と、A入 居申込みから入居までの期間(約1か月半)は、自殺事故と因果関係のない 空室期間であるとし、残りの3か月半のうち、一定の募集期間(本件では半 月程度)は必要であるとして、3か月の空室期間のみ、因果関係を認めてい ます。
イ 賃料減額についての逸失利益
自殺事故が発生したため安い賃料で貸さざるを得なかったことにより、
得られるはずだった賃料の一部が得られなかったことによる損害です。
国土交通省の「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドラ イン」では、賃貸借取引について、自殺事故等が生じた場合には概ね3年間 は告知しなければならないと述べています。本件では、これを踏まえ、新 しい賃貸借契約の開始(入居)から自殺事故の3年後までの期間について、 3割は賃料減額せざるを得なかったと認め、その賃料減額についての逸失利 益につき因果関係を認めました。なお、本件では仲介業者が実際に3割減で 入居者を募集していたことなどを考慮して3割の賃料減額について因果関係 を認めましたが、因果関係が認められる賃料減額の割合は、物件の性質等 によって高くなったり低くなったりすると考えられます。
5 おわりに
自殺事故と因果関係のある損害については、事案により様々であり、本件の計算方法が絶対的なものというわけではありません。しかし、本件で裁判所が述べた、@空室期間(ただし自殺事故がなくても生じる空室期間を除く)の逸失利益と、A新しい入居から自殺事故の3年後までの期間について従前賃料の3割の逸失利益、という考え方は、分かりやすく、目安になると思われます。賃貸業や管理業を営む方は、この裁判例を参考にしてください。
また、既に多くの方が知っておられると思いますが、特に仲介業を営む方は、国土交通省の「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」(※)も改めて確認してください。
※「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」
(国土交通省ホームページ)
https://www.mlit.go.jp/tochi_fudousan_kensetsugyo/
const/tochi_fudousan_kensetsugyo_const_tk3_000001_00061.html
|
(一財)大阪府宅地建物取引士センターメールマガジン令和6年10月号執筆分 |
|