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1 はじめに
タトゥーに対する世の中の受けとめ方に変化がうかがえるなか、賃貸借契約において、入居者にタトゥーが入っていることを賃貸人が知らなかった場合に、契約の錯誤取消や契約解除を主張できるか否かが問題となった事案である。
2 事案の概要
X(携帯電話及び通信機器の販売等を業とする株式会社・原告)は、令和3年8月1日、X代表者及びその家族が居住する目的で、Yら(被告ら)との間で、Yら所有建物(タワーマンションの一室・本件建物)につき、賃料を月額55万円、期間を令和3年9月1日から令和5年8月31日までの2年間とする約定で、建物賃貸借契約(本件賃貸借契約)を締結した。Yらは契約締結にあたり、X代表者と面談などはしていない。
他の約定としては、いわゆる暴排条項として、反社会的勢力ではないことの確認条項が定められている。また、「公序良俗に反し、他の入居者や近隣に迷惑となる行為」(以下、「違反行為A」という。)をすることを違反行為とし、催告解除の対象と定めていた。さらに、「本物件又は本物件の周辺において、著しく粗野若しくは乱暴な言動を行い、又は威勢を示すことにより、付近の住民又は通行人に不安を覚えさせること」(以下、「違反行為B」という。)を違反行為とし、無催告解除の対象と定めていた。
なお、契約締結に先立ち、Xは仲介業者を通じてYらに対し、令和3年9月分の賃料55万円、敷金55万円、礼金110万円の合計220万円を支払った。また、Xは、仲介手数料60万5000円、保証委託料22万円を支払った。
その後、X代表者の腕にタトゥーが入っていることをYらが知り、同年8月28日、仲介会社担当者とともに、タトゥーの取扱いについて協議するためにX代表者と面談した。X代表者は、これまで賃借していた物件で文句を言われたことはないが、タトゥーが露出しないよう努力する、しかし、不可抗力はあるので絶対に露出しないとは保証できないなどと述べた。なお、X代表者のタトゥーは、右腕上腕部外側にこぶし大、左肩から手首の約10センチメートル手間までの腕全体に入っているが、長そでの服を着れば隠すことができる。
Yらは、令和3年8月30日ころ、Xに対し、弁護士を通じてX代表者の腕にタトゥーが入っていることを理由に、本件建物の鍵の引渡しを拒否する旨連絡をした。これに対し、Xは同年9月2日ころ、Yらに対し、弁護士を通じて本件建物の鍵の引渡しを求めた。Yらは、令和3年9月3日付の文書で、Xに対し、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をするとともに、本件賃貸借契約を、錯誤を理由に取り消す旨の意思表示をした。Yらの対応により、Xは本件建物に配送されるようソファを注文していたにも拘らず、予定していた家具の受入れができず配送料2万5800円の負担を強いられた。
Xは、Yらが本件建物を引き渡さなかったことから、令和4年3月30日、Yらに対して、履行遅滞を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、解除に伴う原状回復として支払済みの賃料等合計220万円のほか、無駄となった仲介手数料、保証委託料、配送料の合計85万0800円の総合計305万0800円を請求する本件訴訟を提起した。
3 裁判所の判断
(1) 争点
本件は、YらがXに対し本件建物の引渡しを拒んだことが正当化できるかどうかが争点である。仮に有効に本件賃貸借契約が錯誤を理由に取り消され、あるいはタトゥーを理由に解除できるものであるならば、本件建物の引渡し拒否に法的根拠があることとなる。
(2) Yらの主張
Yらは、本件建物を含む本件マンションが、いわゆる高級マンションであり、その価値を減少させるような人物や、他の賃借人の平穏な居住環境を害する恐れのある者との間で賃貸借契約を締結することは許されない。また、タトゥーは、反社会的勢力のシンボルとして、一般に畏怖感、嫌悪感を抱くものが多く、Yらは、実際に、そうした感情を抱いている。さらに、賃貸借契約においては、賃借人の支払い能力と同程度に、賃借人がどのような人物であるかは重要な要素であるなどとして、錯誤取消が有効であると主張した。同様に、上記観点から、違反行為Aには、「本件マンションの価値等を減少させることも含まれる」と解すべきである、違反行為Bには「言動のみならず、外貌などから相手方に畏怖感、嫌悪感を与える場合も含まれる」と解すべきであるとして、解除は有効であると主張した。
(3) 錯誤取消の可否についての裁判所の判断
裁判所は、次のように述べて、錯誤取消を認めなかった。
X代表者にタトゥーが入れられていることが判明したのちのYの行動に鑑みると、反社会的勢力と疑われるような人物ではないことや違反行為Aや違反行為Bを行い、又は行うおそれのある人物でないことを前提にしていたこと自体は認めた。また、一部の反社会的勢力が自らの存在を誇示するための手段としてタトゥーを利用してきたことは、当裁判所に顕著な事実であるとして、Yらの「賃借人は反社会的勢力の人物であると疑われるような人物ではない」との認識は、真実に反する錯誤であったということはできる。
なお、違反行為A、違反行為Bの文言に照らせば、迷惑行為をすることや付近の住民又は通行人に乱暴な言動等によって不安を覚えさせることを禁止するものであって、タトゥーを入れること自体を禁止するものではないことは明らかである。また、X代表者にタトゥーがあることをもって、そこからX代表者の性格や人格を推認した上で、X代表者が違反行為Aや違反行為Bに該当する行為をするおそれがある人物であると認定することは無理があるというほかなく、この点についてYらに錯誤があるとはいえない、とした。
真実に反する錯誤がなければ、YはXとの間で本件賃貸借契約を締結しなかったとは推認することができるが、これが法律行為の基礎とした事情にかかるものであるとはいえない。建物の賃貸借契約は、賃貸人が建物の使用収益を賃借人にさせることを約してその賃料の支払を受けることを基本的な内容とするものであり、賃借人または居住者の属性や人物像は、当然に賃貸借契約の基礎となるものとはいえない。そして、タトゥーにまつわる価値観が多様化していることからすると、反社会的勢力の人物か否かにかかわらずタトゥーを入れる人物がおり、そうした人物から賃貸借契約の申込みがあることは十分想定可能であるから、Yらにおいて、タトゥーが入っていることなどにより反社会的勢力であると疑われる人物を排除する旨の契約条項を定めたり、賃借人又は居住者の属性や人物像に対する照会等を行ったりするなどの対応を採ることも可能であったにもかかわらず、Yらはそうした対応に出ていない。賃借人又は居住者が反社会的勢力であると疑われる人物ではないということについては、この点に誤認があったことが事後的に判明した場合に本件賃貸借契約の効力を否定することまでをX及びYらの双方が前提としていたとはいえないから、錯誤取消の効力は認められない。
(4) Xの契約違反を理由とする契約解除についての裁判所の判断
裁判所は、違反行為A、違反行為Bが迷惑行為をすることや付近の住民又は通行人に乱暴な言動等によって不安を覚えさせることを禁止するものであって、タトゥーを入れること自体を禁止するものではないことは明らかである、などとして契約解除の効力も否定した。
(5) Xの請求に対する裁判所の判断
裁判所は、上記(3)、(4)のとおり、錯誤取消や契約解除が認められない以上、Yらは、Xに対し本件建物の引渡義務を負うこととなり、その遅滞を理由とするXからYらに対する契約解除は有効であると認定した。
そして、XのYらに対する賃料、敷金、礼金の全額の返還義務、仲介手数料、保証委託料、配送料についても損害であると認定し、Xの金銭請求を全面的に認容した。
4 考察
裁判所は、Yらが、賃借人ないし入居者が「およそ反社会的勢力と疑われることすらない人物である」ということについては誤認があったということを認めつつも、そのことが、法律上の錯誤の要件に当てはまるか否かについては、これを否定したものである。
タトゥーについての社会の見方が変わり、ファッションの一部としてタトゥーを入れることも増えてきたなかでは、判決は穏当といえるであろう。また、債務不履行解除の主張についても、解除事由は厳格に解釈すべきであるところ、拡大解釈を認めなかった点でも判決は妥当であると思料する。
5 まとめ
賃借人がこういう人であるならば貸さないというのであれば、その点に関心を持った行動をとるはずであるとの判示は説得的であると思われる。そうすると賃貸人としては、契約締結前であれば、気になる事情がないかどうか具体的に照会をする、事後的に判明した場合に備え具体的に契約解除事由として織り込むということになろう。タトゥーに対する価値観は人それぞれであるが、仮に賃貸人が、タトゥーを入れた人との契約を望まないのであれば、事前に照会をする、契約解除事由として盛り込む、といった具体的行動が必要である。
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(一財)大阪府宅地建物取引士センターメールマガジン令和7年5月号執筆分 |
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